ぬまざわ美和
人生年表

幼少期
1989年(平成元年4月22日)(0歳)
母の地元である室蘭市の病院で誕生後、父の仕事の事情で留萌市へ
その後札幌市で過ごす
ベビースイミングをきっかけに水泳を始める
1992年(3歳)
ピアノを習い始める(〜18歳まで継続)
器械体操も始め、幼稚園・小学校時代は鉄棒に熱中
1998年(9歳・小学3年生)
引っ越しのため、転校を経験
転校先でブラスバンドに所属(トランペット、フルート、パーカッション)
3歳年下の弟と、虫をつかまえたり、毎日外で遊ぶ
友達の影響でクラシックバレエを始める(~中学3年生まで)
ダックスフンドの「ハッピ」と暮らし始める
実家には、ハムスター8匹、熱帯魚やエビ、ザリガニが、近所のいとこの家には、ダルメシアン、猫、インコ、カナヘビ、ヤドカリ、カメ、金魚などがおり、動物に囲まれて育つ
中高生時代
2001年(12歳・中学1年生)
国語の先生に朗読を褒められ、声を使う仕事に興味を持つ
アニメ・漫画に親しみ、特に高橋留美子先生の作品に影響を受ける
2002年(13歳・中学2年生)
知人の紹介により、藤女子中学校へ転入
一生涯の友人と出会う
2005年~2007年(高校時代)
校内イベントで初めての司会を経験
生徒会に所属し、ボランティア委員長として活動


大学時代
2008年(19歳)
藤女子大学 文学部 英語文化学科に入学
YOSAKOIサークル「藤・北大&Honda Cars札幌」(現「藤・北大&Honda Cars 北海道」)に所属し、踊り子 兼 衣装班として活動
大学2年生から、アナウンサー受験対策を開始
札幌や東京のアナウンススクールに通い勉強
北は旭川から南は沖縄まで、全国のテレビ局のアナウンサー採用試験に応募し、東京、北陸、東北などに面接を受けに行き、飲食店のアルバイトで貯めたお金が底をついた大学4年の12月、旭川の放送局から内定をいただく
札幌のテレビ局の報道部でアルバイトも経験し、最前線で情報を伝えるテレビマンに憧れる
社会人として
2012年(23歳)
北海道旭川市の放送局で地域キャスターとして活動
アナウンサーに憧れて入ったものの、仕事内容は多岐にわたり、取材ネタを探し、アポを取り、取材を行い、原稿を書き、ロケに行き、機材を運び、編集に立ち会い、ナレーションを録り、放送日には出演と、実際は出演までの道のりは長く、制作が全体の8割を占めており驚き、衣装も自前だったため友人や親から借りたりして、着回しに苦労した
また、このとき初めての一人暮らしも経験し、実家のありがたみを実感
給料が高かったわけではなく、お金のやりくりも大変だった
そんな中、自宅で毎日湯船につかっていたら、ガスの請求がものすごい金額になり、驚愕
知人に「一人暮らしで毎日湯船にお湯貯めるより、たまに銭湯とかスパに行く方が断然安い」と言われた
大変だった社会人のスタートだったが、様々な方々を取材していく中で、北海道の人々の地域愛に触れ、北海道の豊かさに気づく


社会人・挑戦
その後、フリーアナウンサーとして、テレビ出演・司会・専門学校講師など、札幌で活動
専門学校は、声優・俳優などを志す学生へ、発声・発音・アクセントなどの授業を担当
多いクラスは30人以上学生がいる中、一人ひとりと向き合い、それぞれの目標へ伴走することの大切さや難しさを実感
のちに日本語教師となった際、この時の経験が反面教師として役立つことになる
全道選挙のウグイスを経験し、地域のために熱く働く人々の姿に触れ、「地元のために力になりたい」という思いが芽生える
社会人・まだまだ挑戦
カナダ(バンクーバー)へ短期留学・ホームステイを経験
「伝えたいことが伝わらない」もどかしさ、文化が違う中での生活の大変さを実感
移民の多いカナダで色々な価値観に触れ、「自分はどう生きていきたいか」考えるきっかけとなる
毎年モエレ沼公園で行われる「北海道芸術花火」の司会を経験
運営にも携わり、社会人ボランティアの方々、学生ボランティアの方々と力を合わせ、地元を盛り上げたいという気持ちで奔走
花火を見上げる人々の笑顔や、歓声に包まれる会場の空気に触れ、
「大好きな北海道が、これからも平和で笑顔あふれる場所であってほしい」という思いを強く抱く
これが「この風景を守る人でありたい」と考える原点となる


結婚
2016年(27歳)
札幌市西区琴似で、新卒以来の一人暮らしを始める
商店街で新鮮な食材を買って料理するのが楽しみのひとつとなる
結婚を機に、事務職を始める
(コールセンターで働く従業員の勤怠管理や社会保険の関係などの労務管理)
2017年(28歳)
柴犬(黒)の「大豆(だいず)」が家族になる
大豆のために家にエアコンを設置したり、犬と行けるホテルに旅行したり、夜の予定はセーブしたりと、犬ファーストな暮らしになる
母として・学び直し
2020年(31歳)
コロナ禍で、「立ち会い出産禁止・面会禁止」の中、息子を出産
出産時は血圧が200を超え、産後は低血糖になり意識がもうろうとし、息子はすぐに泣かずにどこかに連れていかれ、出産の大変さを思い知る
育休中は、公園に行っても周りと距離を取り、友達に会うのにも気を遣い、さみしさを感じる
妊娠中は出産直前まで体調が悪く、休職も経験
妊娠中の体調不良、出産、子育てを経験し、世の中にはいろいろな人がいること、体調も事情も人それぞれだという当たり前のことを改めて実感する
医療従事者の方々にたくさん助けられ、感謝と尊敬の思いが深まる


産後〜仕事復帰
2021年(32歳)
息子が10か月の時、仕事復帰
「保育園の洗礼」を受け、息子の体調不良が続き、仕事を休まなければいけないことが多く、(5日に1度、小児科へ通う)
周りへ迷惑をかけていること、想像していたように仕事ができず居場所がないと感じること、自分の働きたいという思いが息子に辛い思いをさせているのではないかと感じるなど、子育てと仕事の両立に悩む日々を過ごす中で、医療従事者の方々、保育園の先生方への感謝を強く実感
2022年(33歳)
地域を支える担い手が不足していく中で、これから外国籍の働き手の方々とともに地域を支える場面を多く目にするようになると考える
これまで言葉を使う仕事に携わってきた経験、ことばが通じないことに苦労した留学経験、そして「北海道のためになる仕事がしたい」という思いから、日本語教師という職業に興味を持つ
母として・更なる挑戦
子育て、日本語教師になるための専門学校での勉強を、焼き肉店を経営する友人が応援の意味で、働かせてくれる
ホールスタッフとして働きながら、多いときは1日10時間の学習を重ね、日本語教育能力試験に合格
子育て中の女性が多い職場で、がんばる女性たちと数多く出会う
一人親家庭の悩み、子育てと仕事の両立の悩み、家族の悩みなど、様々なライフストーリーを聞く中で、仕組みや制度について考え始める
2023年頃(34歳)
日本語学校で非常勤講師として勤務開始
20か国以上の留学生と関わる
言葉の壁による生活の困難を目の当たりにし、言葉と制度の重要性を実感


地域への思い・現在
2025年(36歳)~
「地元・北海道のためになる仕事がしたい」という思い、子育てと仕事の両立に悩んだ経験などから、以前から関心のあった政治を学びたいと考え、ご縁をいただき「かとう貴弘事務所」で働き始める
政治の現場に触れ、様々な面で学びを重ねる中で、「身近な政治とは何か」考えるようになる
2026年(37歳)
車いすユーザーになった友人との対話の中で、北海道のバリアフリーについて考えるきっかけになる
「心のバリアフリー」をもっと北海道でも実現したいと考えるようになる
メッセージ
アナウンサーや地域キャスターとして、人々の声に耳を傾けることの大切さを学びました。結婚、出産、キャリアとの両立など、様々なライフステージの中で、多くの方と出会い、お世話になり、お話をお聞きしてきました。
そして、職場や地域などのコミュニティで出会った皆様の声にこそ、社会を動かしていく力があることに気づかされました。人に寄り添い、コミュニティと政治をつなぐ人になりたいと考えています。
「北海道芸術花火」の司会の際に見た、花火を見上げる方々の幸せそうな横顔が忘れられません。
北海道という大きなコミュニティに住む方々のその幸せそうな笑顔を守る人でありたいと思います。



